居眠り シンプルをあなたに


 

ショパンが好きだし、

太宰治が好きだし、

尾崎豊が好きだった私。

(全部、ポジティブ系ではない…。)

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

”オーガナイズ(思考の整理)コーチング”の

上村あかりです。

 

 

 

私が現在行っているコーチングセッションは、

パーソナルコーチングなので

クライアントさんに

とてもプライベートなことを

お話しして頂くことになります。

(もちろん、クライアントさんが話したいことだけ、

ですが)

 

 

なので、コーチの私の経歴や人となりも

わかっていたほうが安心して

セッションに臨んで頂けるかと思いますので、

私のプライベートな生い立ちを書いてみます。

 

 

 

私は今でこそ

だいぶ楽観的になって

自分にとってラクな生き方ができるようになってきましたが、

 

少し前までは本当に

・自分が嫌いで

・人生が憂鬱で

・一時いいことがあっても、すぐに落ち込むような出来事に振り回されて

・気持ちが弱いから、すぐに逃げ出したくなって

常に「いつ、死んでも良い」と思っていたんです。

 

 

それは

・育った家庭のムード

・見聞きしてきた言葉のシャワー

・十数年かけて自分で積み上げてきたネガティブな思考回路

の影響が99.9%。

 

 

つまり、経験した出来事とか

自分の能力や外見といったものは

マインド(心のあり方)には関係ないんですね。

 

 

そんなことも、これを読んで頂けたら

少しだけ浮き彫りになるかなぁと思います。

(もしくは、ならないかも?笑)

 

 

 

まぁかなり簡略化したつもりなのですが

どうでもいい話てんこもりだと思います。ahaha;*

 

どうぞ興味のある方だけ読んでください(笑)

 

 

 

〜小学校時代

 

 

札幌市南区で、兄の一歳違いの妹として生まれる。

人見知り・内弁慶な子どもだった。

 

 

女の子らしい洋服やおもちゃも好きだったけれど

兄や兄の友達と一緒に遊ばせてもらうことも多く、

アクティブに駆け回っていた。

 

幼稚園で女の子を泣かせてしまったことがあり、

その頃から"女子的な女子"は苦手だ…と思っていた。

 

 

小学校に上がってすぐに隣町へ引っ越しすることになり、

友達関係も何もかもリセット。

新しい学校ではあたたかく受け入れてもらえたけれど、

心のどこかで疎外感・孤独感のようなものを感じていた。

 

転校先で一番仲良くなった子が途中で転校してしまって、

「幼なじみ」とか「親友」と呼べる友達がいないことは寂しかった。

それ以前にも何度も引越しをしていたことが、

私が「一軒家・マイホーム」への憧れを持ったきっかけ。)

 

 

学校では、勉強も運動もできたし

クラスメイトにも好かれていた。

 

 (勉強は「好きだからしている」・

「できるから好き」という感じだった。

勉強が好きになったのはひとえに母と

小学校1年生の時の担任の先生のおかげ。)

 

父は単身赴任でほとんど家にいなかったけれど

夏・冬休みには家族でキャンプに行ったり

スキーに行ったりしていた。

 

 

その中で経験した挫折といえば、

6歳くらい?から始めた新体操を

6年生に上がる時に辞めたこと、

あと6年生の時に初めて

リレーの選手の選抜からもれたこと。

 

 

いつも頭の中でいろいろなことを考えていたけど

それを人に伝えるのは上手じゃなかったので、

「大人は何もわかってくれない」と思っていた。

 

 

中学校時代

 

 

▲時代を感じる…!笑

 

中学校でも、テストや内申の成績は良かったけれど、

2年生の時にごく一部の女子から嫌がらせを受ける。

 

本当に一部だったし、普通に友達もいたし、

周りにもあまり知られていなかったと思うけれど、

その時かなりつらくなって、顔を上げて外を歩けないようになった。

 

 

でも、私に嫌がらせをしていた子は

小学校の時に私のクラスでいわゆる”いじめ”を受けていたことがあったから、

文句は言えないと思っていた。

 

 

嫌がらせは、そんなに長くは続かず数日で終わったと思う。

でも、その時考えたことや感じたことは

けっこう私の根っこの部分に今も残っているかもしれない。

 

(当時の日記に、「やまない雨はない」とか書いてる。笑)

 

 

 

中学生の頃、テストを返されるたびに

周りから点数を聞かれ、(大体学年で1~3位の成績だったので)

「わーまた満点?」とか「すごい~」って言われていたのが、

自分としてはすごくいやだった。

 

だから、テストで良い点を取っても何も言われない、

それが普通、みたいな高校に行きたいと思った。

 

学力の見合った高校が市内になかったこともあって、

5%枠という狭き門だったけれど

札幌市の高校を受験。

無事志望校に入学。

 

 

 

高校時代

 

 

中学校の同級生はほとんど誰もいなかったし、

荒れていた中学と比べて平和すぎる高校で、

そのギャップに驚いたけれど

本当にのびのび過ごせた。笑

 

 

だけど最初のテストの返却の時に

「何点だった?わ〜すごいね〜」という

中学校の頃と変わらない会話が繰り返されて、

すごく幻滅した。

 

 

高校生活は楽しい思い出

(と甘酸っぱい思い出やほろ苦い思い出)

でいっぱいなのだけれど

何だか心がすさんでいた。

 

▲眉毛がめちゃめちゃ細かった…!

 

家にいても

兄とはお互い話そうともしないし

母との仲は最悪で、

両親もどんどん不仲になっていた。

 

父が家に帰る頻度も減っていた。

 

学年が上がるほど、どんどん

私の生活態度と学習習慣は乱れていって、

遅刻は日常茶飯事、早弁・居眠りはまだいいほうで

無断欠席・午後からの登校など繰り返し、

留年の危機も。

 

 

そんな怠惰な生活を送っていたら、

母から「あんたなんか産まなきゃよかった」と

言われてしまった。

 

本当に、母との関係は最悪になってしまった。

 

 

それと幼い頃からずっと続けていたエレクトーンの習い事も、

もう少しでYAMAHAの指導者資格を取れる段階だったのに

あっけなくやめてしまった。

(基本的に、何でも途中でやめる私。)

 

 

大学受験

 

 

私は6歳ぐらいの時に友達と「将来の計画」を書いたのだけど

そのとき「自分は20歳になる前に(何らかの理由で)死ぬ」と信じていた。笑

なぜか自分は20歳まで生きないと思っていた。

 

だからなのか?あまり将来のことも考えていなくて、

高3で進路を決めないといけなくなった時も

何も決め手がなかった。

 

友達が美容専門学校の体験入学に行くと言うので、

私も「一番興味があるのは美容かなぁ」と思い

一緒に行ってみる。

 

楽しかったので、美容専門学校に進学しようと決心する。

 

ところが母から猛烈に反対され、大学に行くよう説得される。

しかも(どうせなら行きたいと思った)首都圏の大学は、

学費・生活費の面から無理だと言われ、

「北大(北海道大学)へ行きなさい」と。

 

私の高校では北大への進学を最善とするような風潮があって

それも嫌だったけれど、

でも結局その時好きだった人が札幌にいたからという安易な

(でもその時の私にとっては大事な)理由で、北大へ行くことに決める。

 

(まぁそれだけではなく、

「大学へ行ったら哲学を勉強したい。」というちゃんとした動機もあったけれど…。

 

今考えると、大学へ行かせてもらえただけでありがたい話namida*

 

 

 

そんなこんなで大学受験を決めたのが高3の秋だったので、

そこから猛(?←自分なりに)勉強。

 

赤点だらけの状態から、センター合格ラインA判定にまで追い上げ

無事ストレート合格。

(北大一校しか受験しなかったので、もし落ちたら浪人して東大へ行こうと考えてた。笑)

 

 

(▲こんなプリクラを撮ったりしてはいたけれど)

受験勉強をしていた時期は、

恋愛の悩みと自分自身に対する悩みで

毎日すご〜〜く暗い気持ちで過ごしていた。


(たぶん人生で一番ドン底な気分だった時期)

 

 

その辺りについてはまた機会があれば別に書きます。

 

 

▲高校卒業記念のクラス会にて

 

大学時代

 

 

晴れて北大に入学するも、

入学後3日目で挫折。

つまらない!周りの人と合わない!と絶望。

(その時、高校はなんて楽しかったんだろう…

もっとちゃんと通学すれば良かった…と心底思う。)

 

 

気持ちを切り替えて、

大学は勉強するためだけに使うことにして、

交友関係はアルバイト先でつくった。

 

実際、大学の授業料は

特待生制度?のような感じで免除申請ができたけれど

それでもやっぱり入学金など安くはない金額を親に負担してもらって、

しっかり勉強したいという気持ちが強かった。

 

その頃はアナウンサーを目指すことにしていたので、

学業もダイエットも自分磨きもアルバイトも

ストイックに頑張るようになっていた。

 

(ちなみに、高校では人並みに恋愛もしていたけれど

大学時代は誰とも付き合わなかった。)

 

▲主にキャンペーンガールやMCのお仕事をしてました

 

 

それと大学に入って少ししてから

両親が離婚したこともあって

母を大切にしたいという気持ちも(ようやく)持つようになった。

 

(やっぱり親の離婚はショックで、自分は絶対に

幸せな家庭を築きたいと思うようになった。

また以前のように家族4人で暮らせる日が来たらいいのに…

と泣く日も多かった。)

 

 

JR北海道のキャンペーンガール「ミス・ツインクル」や

宝くじのキャンペーンガール「幸運の女神」に応募したのは、

将来アナウンサーになるのに役立つと思ったから。

 

それぞれ1年間活動して、とてもとても貴重な経験をしたけれど、

幸運の女神の活動で各地のアナウンサーの方とお会いしたり

テレビ番組に出演したりするうちに

「アナウンサーは、やりたい仕事ではないかもしれない」と思い始める。

 

また、「就職は絶対に東京でしたい。」とずっと思っていたけれど

全国各地を回っていく中で札幌・北海道の良さを実感し

札幌に住み続けたいと気持ちが変わる。

 

▲ミスツインクルの頃。CanCamのエビちゃんが好きだった〜。

 

 

そんな中、

幸運の女神の活動と、文学部イチ厳しい

フランス語学ゼミの課題や卒論が両立できなくなって、

(気持ちの弱〜〜い私は)気持ちが追いつめられ自主退学を決意。

けれどゼミの教授に諭され説得され「1年間の休学」という決断に。

 

 

休学中、フランスへ留学しようかと考えていたところ

母がガン、それもかなり進行しているものに侵されていることが判明。

即入院となり、身の回りの世話や家事をうけおった。

 

(病気のことを知らされた日の夜のことは、今でも忘れられない…

泣いて泣いて眠れなかったあの夜、

母への感謝や愛を強く再認識することにもなった。)

 

その後

母は手術を経て、無事に退院できることとなった。

 

 

そして私も就職活動の時期となり、

・接客のスキルを磨ける(将来何かと役立ちそう)

・アナウンスの仕事もある(マイクを使う仕事が好きだし、スキルを上げたい)

・綺麗な女性に囲まれて働ける(自分も磨かれそう)

・尊敬できる人のもとで働けそう(成長とやりがいを感じたい)

・マナーなど、女性としての品を高める研修も充実している

・転勤がないし、待遇も良い

という理由で、ここしかない!と思った

「日産PRスペシャリスト」の仕事が、無事内定。

 

5年間の大学生生活から、晴れて社会人となった。

 

 

(大学時代は、日記代わりのノートを書いていて、

自己対峙の時間をたくさん取った。

今見返すと、ネガティブなループばかりでドン引きするけれど

当時の自分なりの「思考の整理」になっていたのだと思う。

あの時間があったからこそ、今の自分があると強く思う。)

 

 

 

社会人生活

 

 

その後は、2年間日産札幌ギャラリーに勤めたが

何と入社から2年でギャラリー閉館(!)となり退社。

東京へ行って同じ仕事を続ける道もあったものの

札幌に残ることを選択。

 

 

転職活動をどうしようか悩んだ結果、

アナウンサーという職業への少しの心残りを感じ

札幌のテレビ局のキャリア採用へ応募。

 

しかし、最終の役員面接で落選。

(たぶん、そこまでの熱意がないことが伝わったかと…。)

踏ん切りがつき、

某社へ秘書として勤務することに。

 

 

ところが、待遇だけで就職先を決めたため

転職後、仕事でのやりがいはほぼゼロ。

 

秘書として採用されたはずなのに

業務内容は雑用がほとんど…。

 

 

ギャラリー時代は毎日やるべきことに追われ

厳しい環境の中で過ごしていたこともあり、

社風に耐え難いギャップを感じる。

 

 

<つづく…>

 

 

たまご続きは、こちら

 

 

 

 


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愚痴です。。。

 

引っ越して1年経ってしまいました。

とにかく「つらくて苦しかった」の一言しかありません

特に工事中から引越し後は悪夢。

私の危機感はことごとく的中し、人生をかけた夢のマイホームは悪夢のマイホームとなりました。

 

泣いたり怒ったり本当にいろいろありましたが、現在は支社も誠実な対応だと思ってます。

それが救いですが、ここへ来て基礎の問題。

外部調査を当たっていますが、なんと社内メールが誤送信されて来て、「見ないと何とも言えませんが取り壊しですかね」って ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

 

昨日は課長と打ち合わせ。

この1年一番関わって来た人です。

私は信頼出来る人だと思ってるので、心配な事はその都度相談して来ました。

今回も業者選定について相談する予定になってました。

 

なのに。。。くそじじいと論点が違って私は肝心な話も出来ず、またもや盛大な口論を課長に披露するだけとなりました。

この1年、常に怒って何やってるんだ早くしろ早くしろ早くしろ。。。

私はそれだけにかかりきりになれるほど暇じゃない!もう嫌だ。。。

 

家があったのに・・・息子の代まで住むつもりですべてをかけて建てた家だったのに。

安心して住みたい。それだけなのに、すべての余暇を欠陥住宅に奪われて・・・何で果てしなくこんな思いしなくちゃいけないの?

心底、何もかも嫌になって涙が止まらなくなりました。

 

次々に手抜きが見つかり放置された時期は不安で家の夢ばかり見て、眠剤を飲まないと眠れなくなりました。

逆にやらなくちゃいけない事があるのにPCへ向かうと居眠りばかり・・・

完全に睡眠障害になりました。

 

以前、仕事の忙しさと子供のお受験が重なって無理をしてた時期、突然耳が聞こえなくなりました。

所構わず強烈な眩暈に襲われて、数時間動けず吐くので仕事どころか日常生活もままならなくなり、手術をしてくれる医者を探して関西まで行って手術しました。

なのに良くならずに、聴力を捨て薬物で完全に耳を潰して、10年以上かかってようやく日常生活が出来るようになったばかりです。

私が苦しむさまを見て育った息子だけが、ストレスで体を壊すんじゃないかと心配してくれてます。


この家に引っ越して、ずっとケンカが絶えず悩んだり調べたり時間を潰して・・・もう心身ともに限界です。
安心して住めるまで生きていられるのかとさえ良く思います。

むかつくので削除したこの手の写真。

監督が撮った写真をコピーしてもらったらたくさんありました(;´д`)

もっと他の写真が欲しかった。。。

笑って過ごすどころか親と顔も合わせないように暮らしてます。

何でこうなっちゃったのか。。。(´;ω;`)

 

不愉快な記事ですみません。。。耐え切れず書いてしまいました(´;ω;`)

 

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